試行錯誤を繰り返す英語教育
英語の学び方については、今までに学者、英語教師、英語の達人、有識者などがそれぞれの意見を表明している。しかし、これまでのところ、いろいろな意見が述べられ、いろいろな試みはなされてきたものの、極端な言い方をすれば、いずれも試行錯誤の域を脱していない。これまでに数多くの英語学習理論が現れては消え、現れては消えといったことを繰り返してきた。英語の学び方に関するこれといった定説はひとつもない。しかし、これは考えてみれば妙な話である。なぜなら、一方では、現実社会において英語をマスターした例はかなり多いにもかかわらず、他方では、学校教育だけで英語をマスターしたという例はほとんど聞いたことがないからである。これは、みなが口をそろえて言うように、今までの英語教育が間違っていることを示しているのであろうか。もしそうであるとすれば、どこが間違っているのだろうか。英語ができるようにならない原因はどこにあるのだろうか。まずこの辺の問題から考えてみよう。
学校では学習できないコミュニケーション英語
英語ができるようにならない原因の一つは、学校の英語教育では、英語国民と直接英語でコミュニケーションを行う場がほとんどないということである。訓練しないものはできるわけがない。これには異論はないであろう。しかし、よく考えてみると、学校における英語教育とはコミュニケーションの疑似体験を学生に経験させるということであって、実社会で行われるような生活に根ざした実際のコミュニケーションを行う場ではない。学校教育は社会実習ではないのである.そうだとすれば、疑似体験と実際のコミュニケーションとの間には大きなギャップがあるのは当然であろう。したがって、コミュニケーション能力を身につけるためには、このギャップを埋めるための何らかの工夫がなされなければならない。このような工夫は他の技術訓練の場合には見ることができる。特に社会的に重大な影響を与えると思われる技術、特に人命にかかわるような技術に関して認められる。たとえば、医師の養成の場合には、医学部で学んだ疑似医療体験と実際の医療活動との間のギャップを埋めるために、インターン制度というものを設けている。インターン制度により、理論と実際との落差を緩和し、スムーズに実際の医療に移行できる技術を習得できるように仕組んである。
学校の英語教育には、このようなギャップを埋めるためのインターン制度のようなものがない。そのため、英語学習と実際のコミュニケーションとの間には大きな落差が生じ、挫折するケースが多くなるのである。したがって、スムーズに実際のコミュニケーションへ移行するためには、英語教育におけるインターン制度のようなシステムを導入しなければならない。これをどのような形のものにするかが、英語教育を成功させるか、失敗させるかの分かれ目となる。
英語教育におけるインターン制度とは、学校で学習する疑似体験をさらに進めて、実際のコミュニケーションを部分的に学習させるためのシステムである。ここで扱う言語材料は教材臭さを完全に取り去ったものでなければならない。つまり、教材ではなく、実際のコミュニケーションに使われたものを利用しなければならない。このような言語材料を数多く経験することが実際のコミュニケーションへの移行をスムーズにするのである。
案外少ない学校での英語学習時間
前号では,英語ができるようにならない原因のひとつとして,学校英語をそのまま実際のコミュニケーションに使おうとしていることを指摘した。学校英語はいわば骨組みであって,そのまわりにコミュニケーションに必要な肉づけをしなければならない。そうしないと,ギスギスした暗号のようなものになってしまう。スムーズなコミュニケーションを図るためには,実際のコミュニケーションに入るための準備期間と学習が必要である。次に,もう一つの英語ができるようにならない原因と思われるものについて考えてみよう。それは英語学習に必要な学習時間である。おそらく大半の人は,学校の英語教育ではもっと多くの学習時間が必要であると直感的に感じているはずである。現在の日本の学校教育では,中学高校で約800時間の英語の授業を受けている。その推定方法は次のとおりである。
中学英語の総授業時間数 | = 時間×(クラス数/週)×(週の数/年)×年数 |
= 50/60×4×35×3 | |
= 350 | |
高校英語の総授業時間数 | = 時間×(クラス数/週)×(週の数/年)×年数 |
= 50/60×5×35×3 | |
= 437 |
また,大学での英語教育の総授業時間数は,1年次,2年次ともに2コマとすると次のようになる。
大学英語の総授業時間数 | = 時間×(クラス数/週)×(週の数/年)×年数 |
= 1.5×2×30×2 | |
= 180 |
したがって,中学,高校,大学とすべての英語の総授業時間数は,多く見積もっても1000時間ということになる。
1000時間の英語の授業というと非常に多いように思えるかもしれないが,子供が3歳半までに自国語に接触する時間は最低3000時間と推定されるので,これと比べるとけた違いに少ない。このことから考えても,学校教育では,いかに英語学習のために費やす時間が少ないかが分かる。このくらいの差がつくと,もう英語の教え方がどうのこうのといった単なる技術的な問題ではなく,それ以前の根本にかかわる制度上の問題があることが分かる。つまり,学習の絶対時間が慢性的に不足しているのである。
英語ができるようにならないのは当然であろう。
どれくらいの学習時間が必要なのか
それでは,英語能力を実用レベルにまで伸ばすためには,具体的にどれくらいの学習時間が必要なのであろうか。アメリカ国務省の付属機関で,外国語研修を行っている Foreign Service Institute(以下 FSI と省略)という組織がある。この FSI
が1973年に発表した外国語の研修成果と,それに要した研修時間に関する資料は,日本人が英語学習に必要な学習時間を推定するためにきわめて示唆に富む事実を提供している。FSI はアメリカ人の国務省研修生に教える外国語を,その難易度によって4つのグループに分類している。
第1グループはフランス語,ドイツ語,スペイン語などで,英語と言語系統が最も近いので,英語国民であるアメリカ人にとっては最もやさしい言語である。
第2グループはこれよりも言語系統が異なった言語,つまりアメリカ人にとっては第1グループより難しい言語で,ギリシャ語,ヒンズー語,インドネシア語などがその中に含まれる。
第3グループはさらに難しい言語で,ロシア語,ヘブライ語,トルコ語などが含まれる。
第4グループはアメリカ人にとって最も難しい言語で,日本語,中国語,朝鮮語,アラビア語の四つの言語がこのグループに属している。
第2グループはこれよりも言語系統が異なった言語,つまりアメリカ人にとっては第1グループより難しい言語で,ギリシャ語,ヒンズー語,インドネシア語などがその中に含まれる。
第3グループはさらに難しい言語で,ロシア語,ヘブライ語,トルコ語などが含まれる。
第4グループはアメリカ人にとって最も難しい言語で,日本語,中国語,朝鮮語,アラビア語の四つの言語がこのグループに属している。
これらの諸言語の speaking 能力達成度と,それに要した研修時間を見ると,当然のことながら,アメリカ人にとってやさしい言語は必要研修時間が短く,難しい言語の研修時間は長い。
次に示した表は,各グループがレベル2+またはレベル3の speaking 能力に達するまでに要した研修時間の平均値である。
レベル2+またはレベル3の speaking 能力というのは,日常生活にはほとんど差し支えないレベルを示す。もちろん listening 能力にも問題はない。また,この研修は普通の研修とは違って,インテンシブ・コース(集中訓練)と呼ばれるものである。
1日6時間の研修は,月曜から金曜まで連続5日間続き,週当り30時間の猛特訓である。インテンシブ・コースは普通の研修より30%程度は効率がよいとされているが,それだけに厳しく,だれでも気楽に参加できるといったものではない。しかも,FSI の研修生は,数多くの就職希望者の中から,難関を突破して国務省に採用されたエリート官僚の卵,将来の外交官である。したがって,一般の学習者の場合には,これよりもかなり多くの学習時間がかかることが予想される。
第1グループ
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レベル2+
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720時間(24週)
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第2グループ
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レベル2+/3
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1320時間(44週)
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第3グループ
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レベル2+
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1320時間(44週)
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第4グループ
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レベル3
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2400-2760時間 (80-92週)
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ここでわれわれの英語学習に直接関係するのは,最後の第4グループである。時間的には2400時間から2760時間であるが,期間としては80週(1年7か月)から92週(1年10か月)もかかっている。普通の研修ならともかく,2年近くもインテンシブ・コースを受けるということは,その期間中はほかのことはほとんど何もできないということを意味するので,並大抵の努力でできるものではない。
もちろんこれはアメリカ人が日本語を学習する場合の例であり,日本人が英語を学習するものではないので,ここで示された数字はそのままでは通用しない。しかし,大きな意味では学習時間の目安にはなるはずである。これで見ると,日本人が英語のレベル2+以上の speaking 能力に達するためには少なくとも3000時間の学習時間が必要であろうと推測できる。10年間の中学,高校,大学で受けた英語教育の3倍の学習時間である。これからしても,従来の学校英語の学習時間ではまったく足りないことが分かる。これほどの格差がついてしまうと,なまじっかな対策ではまったく通用しない。
学習時間を大幅に増やす根本的な対策がなければ,レベル2+の speaking 能力には到底到達しないことは明白である。教授法を改善するといったレベルの問題ではない。では,どのようにしてその解決方法を見つけたらよいのだろうか。
コミュニケーションに必要な英語レベル
前号では、学校における英語学習時間を大幅に増やす必要があることを述べた。10年間も続く中学、高校、大学の英語授業時間数が1000時間足らずであるのに対して、わずか3年半(3歳半の子供)の自国語習得時間数が3000時間にも達するというのでは、学習時間数の点だけで考えれば、3歳児の足元にも及ばないということである。事実、speaking と listening
の点では、大学生の英語能力は英米人の3歳児と比べると、少なくとも流暢さに関しては、けた違いに下である。問題はそれだけではない。さらに大きな問題は、英語学習者の目指す英語のレベルは3歳児の英語ではなく、成人の英語だという点にある。成人の英語ともなれば、話題も多岐にわたり、内容も複雑になるであろうから、語彙の点でも、文法の点でも、3歳児よりもはるかに上のレベルの英語を目指さなければならない。もしかりに目標レベルを20歳青年の知的レベルの英語能力に置いたとすると、3歳児の3000時間という目標学習時間はさらに多くなるはずである。20歳の青年が自国語に接する時間は、少なく見積もっても、おそらく4万時間は下らないであろう。幸い、学習動機の高い英語学習者の場合には、自国語習得者よりも短時間に学習できるという利点があるので、不便は感じながらもコミュニケーションはできるといったレベルを一応の目標とするのであれば、4万時間はかからないであろうと推定される。それにしても、最終的には1万時間程度は覚悟しておかなければならないだろう。しかも、言語は人間とともに成長することを考えれば、英語学習は一生つきまとうことになる。英語を日本語同様の立場に置いて、自分の現在の日本語能力と同程度の英語能力を最終目標として求めるとすると、コミュニケーション・レベルに達した後でも、英語と毎日付き合って行かなければならない運命にあるのはやむを得ないことであろう。
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