アルファー読み、ベーター読み

 明治大学(文系)の現代文に外山滋比古氏の文章が出題されていました。筆者は1970~90年代には誰もが知っている、言語論を書いてベストセラーとなっていました。大学入試では現代文(当時は現国)の問題文にしばしば登場し、受験生がその文章を目にすることが多かったと思います。(まだご存命のようです)


 私が読んだ問題文には「日本語の読みにはアルファー読みとベーター読みがあり、アルファー読みは既知的な読みであり、未知なことを知るためにはベーター読みができるようにならなければならない」とする意見が述べられていました。


 筆者について調べていくと、「アルファー読み、ベーター読み」は1980年代にいくつかの書物で提唱していたものであることが判明しました。私達がアルファー読みに止まっていると、大学入試問題のような未知な文章に対応できないと翻訳することが可能です。これは西村克彦氏の『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 』(光文社新書) での主張とほぼ一致していると思われますが、外山氏はベーター読みに移行するためのいくつかの重要な知見と提言をされています。


《ベータ読みは数学や外国語を理解することに近い》

「本当の意味で未知を読むならば、数学的思考法と文章の理解はかなり近い関係になります。読みは哲学的であり、論理的であり、あるいは高度に宗教的であり、きわめて芸術的であり得る。」(『新・私の知的生産の技術』所載)


《ベーター読みへの移行はおとぎ話・古典の素読など抽象化の訓練をすること》


「おとぎ話は現実の裏付けがない。すくなくとも具体的な事象とことばとの

 関係がはっきりしない。だからこそ、母乳語、アルファー語において、いった

 ん結びつけられた、ことば=ものごとの絆を切り離すのに役立つ。」 


「ベーター読みは難しい内容の本をくりかえしくりかえし読むことによって

 到達できる。素読はその好例である。


「外国語学習はベーター読みの修練としては、古典と並ぶ有力な方法になる」

(『「読み」の整理学』より)



時代的な制約もあり、私独自の解釈も加えてあるため、作者の真意を全て述べているとは言いがたいですが、ことばの読解に関しての神髄が書かれているいるように思われました。