例1「努⼒しても伸びない⼈なんて、この世には存在しない。正しい⽅法で努⼒さえすれば、⼈は必ず伸びる。」
私の塾の生徒が通う高校の学年通信に書かれていた言葉です。上記の文章は論理的におかしな文章です。どこがおかしな文章かを考えてみて下さい。
どうでしょうか?
この文章には二つの命題(真偽が述べられた文章)が述べられています。この二つの命題は前者が後者を包含しています。すなわち後者の「正しい方法で努力さえすれば、人は必ず伸びる」が真であるとすれば、「正しくない方法で努力した人は伸びる」は偽となり、「全ての人は努力すれば伸びる」とする前者の命題と矛盾を起こします。
もう一つ同じ場所に掲載されていた言葉です。
例2「テクニックは付け焼刃では⾝につかない。普段の地道な努⼒の上に⽴つもの。つまりテクニックを持っているということは、その⼈間には計画性、持続性、実⾏⼒,そのうえで目標を達成しようという情熱があるということだ。」
どこか違和感を持たないでしょうか?
通常テクニックとは皮相的なものを含意する言葉です。勉強で言えば「解法のテクニックを覚えるのではなく、より本質的な理解をすることが大切である」等の文脈で使われます。しかしこの文章はテクニックが「付け焼き刃」ではない本質的なものと捉えていて、テクニックの通常の定義からはずれ、読みづらい文章になっています。
上記の2つの例は私たちが、日常的に行っている論理あるいは日本語に関する間違いです。日常生活の中であまりにも論理や言葉に厳密に考えすぎると、コミュニケーションが円滑に進まないのも事実ですが、これらを見過ごしてしまうとただ意味のない言葉の羅列だけになってしまうことも事実です。
学問の世界の入り口として大学受験を考えた場合、「論理的に」、「言葉に敏感」になることが必要なのは言うまでもありません。日常の中で密かに論理の実践を行うことは論理に強くなる秘訣です。
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